一触即発(+2)(紙ジャケット仕様) (CD)

個人的には、フラワー・トラベリン・バンドの「SATORI」、頭脳警察の1、2枚目、裸のラリーズの「77Live」、「MIZUTANI」、フリクションの79年ライブと並ぶ、日本のロック史上に残る傑作である。

彼らは発表当時から、ピンクフロイド云々と喧しく言われてきた。

確かに換骨奪胎の謗りはまぬがれないが、彼らはピンクフロイドを踏まえて、見事な日本人のロックを創出した。

ここで展開されるのは、つげ義春の夢幻世界を彷彿させる「おまつり」といい、全く彼らにしか達成出来なかった、最高峰の楽曲と演奏である。



鉄腕アトム(9) (手塚治虫文庫全集 BT 9) (文庫)

『鉄腕アトム』は、手塚先生の名声を決定的にした今でも人気が衰えない作品です。

それに加えて、人類の文化遺産に加えておいて欲しい歴史的な名作であると思います。

第9巻で、おまけとして『鉄腕アトムの生い立ちと歴史』があとがきに付されています。

ロボットという呼称は、アメリカのSF作家、アイザック・アシモフが考案したものですが、ロボットが存在する世界を描き出したのは、『鉄腕アトム』であることが読み取れます。

地球上において、ロボットという存在を世に広めたのは、アトムであったと思います。

『鉄腕アトム』は、昭和26年の『アトム大使』が最初のエピソードです。

ここでのアトムは、アシモフの描いたような、人間の召使のような描き方をされています。

そこから、人間と同じように動き回れる私達が知っているアトムにキャラ変更されますが、舞台設定の未来が、連載中に現実化するという真に奇妙な出来事が起きてきます。

現代の都市デザインが、手塚治虫の描いた未来都市に酷似している、とよく言われます。

真空管で動いていたアトムは、次第にトランジスタ、ITに変更をしなければならなくなりましたし、TVやハイウェー、超音速旅客機、月探検ロケットなど、空想として描かれたものが実際に起こり、それにあわせて書き直しをしなければならないことがあったそうです。

これなどは、新しい感性で次の時代を切り開いてゆく芸術家の仕事のようです。

ずば抜けた人気の『鉄腕アトム』は、TVアニメ化されました。

莫大な費用を伴うアニメーションで、毎週30分番組を作るのは不可能と言われていましたが、手塚先生のアイデアを加えたリミテッド・アニメーションにより実現されました。

製作者側の苦労は並大抵ではなかったようですが、『鉄腕アトム』は世界中に輸出され、今に続くジャパン・アニメの第一号になりました。

さらに、アニメで爆発した人気によって、キャラクター商品が日本に生まれました。

手塚先生は、最初は宣伝料を支払わなければならないのではないか、と思ったほど当時日本には版権という考えがなかったようです。

出版界を超えて、これ程までに世の中に影響を与えた作品は見当たらないのではないかと思います。

そして何より、アトムの可愛いさが最高です。

小学生の制服を着込んだアトムは他の生徒よりも背が小さくて、カバン持ちなどさせらています。

いじめられていると、ヒゲオヤジ先生が助けに来てくれるんですね。

日本で生まれたアトムをいつまでも大事にしたいと思います。



日本思想史ハンドブック (ハンドブック・シリーズ) (単行本)

日本思想の各時代ごとの研究状況や最新の問題意識を一覧するのに、非常によい本であると思う。

多様な執筆者の起用により、おもしろいことを書く(主に若手の)執筆者を発見できたのは喜ばしかったし、また巻末のブックガイドに加え、本文中に取り上げられる近年の重要な研究書の紹介が魅力的で、色々と読んでみたくなった。

ただし、編者の関心を反映してか、時代としては前近代よりは近世末から近現代に重点がおかれ、また取り上げられる「思想」の性格も、親鸞の人間観や西田幾多郎の哲学がどうこうといったことよりも、何らかのかたちで「国家」や「権力」との関わりが問われる政治思想的な色合いが強い、という「偏向」は否めない。

むろん、まさにそうした方向への傾きこそが、現在の日本思想史研究の全体的なトレンドを反映しているのであって、本書の意図を考慮すれば、その「偏向」は、むしろメリットなのであるが。



ある日、僕らが恋に落ちたら (ディアプラス・コミックス) (コミック)

シリーズとしての短編が幾つかとピンでの短編が収録されています。

タイトル作品は、キャラの関係性や攻の態度が尻切れ的で面白くなかった(というか理解ができずらい)ですが、一緒に収録されていた短編「デスクトップ・ラバー」は短いながらもツボをついたカップリングと話の流れがよかったです。

チャラ男系×真面目君の組み合わせも面白かったです。

別の短編「キライにならないで」「キライになれなくて」の連続短編モノも、誤解が誤解を生む攻と受の関係性が面白く、エロさもありました。

総じてどの作品も攻と受のキャラが似ているのが新鮮さに欠ける部分はありましたが、読み深めていくと満足度が増す作品が多かったです。

前評判、キャッチ帯は期待感持たせすぎなのは否めないですが、キャラの類似性をのぞけば悪くはありませんでした。

ダントツおススメはしないですが、機会があれば一度読んでみてもよい、といったところです。



犬と私の10の約束[プレミアム・エディション](2枚組) [DVD] (DVD)

主人公あかりが犬のソックスと暮らした10年間のものがたり。

少女時代、あかりにとってソックスは無二の親友。

だが、あかりが成人すると、ときに疎ましい存在にさえなり、「ソックスのためにたくさんの事を我慢してきた」などと口にすることも。

ペットからは大切な贈り物をもらうけど、それには日々の世話が必要。

そんな両面が目の当たりに。

そしてペットを飼うことは、生命を最後までを見守ることでもあるだろう。

ソックスとの別れのとき、あかりの心には感謝すべきだったことが次々甦ってくる。

取り乱したように泣きながらもらす、「だってこのあいだまで子犬だったじゃない」ということばが胸に響く。

ペットだけでなく、家族や親類、同級生、先輩、恩師、友人たち。





日々何気なく接してきたのに、失うそのときになって、実はとても大切な存在だったのだと気付かされる、誰もが経験するその瞬間が、せつなく表現された感動的な場面でした。

構成上、後半どたばたした部分があり、映画としての完成度では難もある。

でも犬たちの演技が素晴らしく、また、あかりのパパを演じる豊川さんの輝きも抜群。

そして、あかりの少女時代と成人後を演じる福田麻由子さん→田中麗奈さんへのリレーが本当にお見事、拍手モノでした。

ペットを飼う人、飼ってた人だけでなく、暖かいきもちになりたいかたに、おススメです。



おとうさんをまって (こどものとも絵本) (単行本)

 子供(4才5ヶ月)が「エンソくんきしゃにのる」を好き(話も絵も)なので、スズキコージ作品を探してみた。

 「きゅうりさんあぶないよ」もいいのだが、ストーリーというよりは絵の変化で見せる間違い探し的作品であり、子供の食いつきは今ひとつであった。

 本作は、ストーリーもじんとくる話でおもしろいし、絵も、例の、異国情緒あふれる画風である。

好き嫌いはあると思うが、個人的には大変よいと思う。

 話であるが、黒人の子供がショーウィンドウ越しにピカピカのサックス(商品)に(買えないが)あこがれるように、長い旅行(出張?)に行く父の乗る汽車そっくりの模型にあこがれながら父の帰りを待つ話である。

 エンディングもよいと思う。

 

Piano Sonatas 4 (CD)

イギリスのピアニスト、ハワード・シェリー(Howard Shelley 1950-)によるムツィオ・クレメンティ(Muzio Clementi 1752-1832)のソナタ全集プロジェクトの第4集。

2009年録音。

当盤の収録曲はソナタ ハ長調op.25-1、ト長調op.25-2、変ロ長調op.25-3、イ長調op.25-4、嬰へ短調op.25-5、ニ長調op.25-6、へ長調op.26、イ長調op.33-1、へ長調op.33-2、ハ長調op.33-3、変ホ長調op.41の11曲。

このシェリーによるクレメンティ・プロジェクトはすでに完遂していて、全6集からなるきわめて価値の高い全集となったと思う。

私はすでに第5集、第6集にレビューを書かせていただいているので、私の本全集の価値への言及は、そちらの記述と重複することになるが、あらためて要約すると、「ピアノ初学者のための音楽というクレメンティ作品への限定的なレッテルを拭い去り、クラヴィーアのための音楽において革命的な進歩に貢献したクレメンティの作品群に、現代ピアノのスペックを駆使し、ダイナミックにアプローチすることで、その真価を知らしめたシリーズ」ということになる。

クレメンティのソナタが、現代あまり普及していないのは、その作品の多さ、作品番号と調性だけで表記される字面が与える画一的イメージなども負の要素になっているように思う。

しかし、充実期から後期にかけての作品群は、1曲1曲に個性があり、クレメンティが吹き込んだパッションなり愛情なりが感じられ、馴染むほどに楽しめるものとなっていく。

当アルバムに収録された有名な作品としては、嬰ヘ短調 op.25-5とハ長調 op.33-3が挙げられる。

イタリアのピアニストでクレメンティ研究家でもあったピエトロ・スパダ(Pietro Spada 1935-)は華麗で大きな展開を持つop.33-3が本来は協奏曲であったとの仮説に基づき、ピアノ協奏曲譜の復元(アレンジ)を行っているので、そういった観点からこの作品を楽しむのも一興だろう。

しかし、なんといっても美しいのは、収録曲中唯一の短調の作品であるop.25-5で、モーツァルトのような無垢の悲しみを湛えた心に沁みる名品となっている。

ベートーヴェンは「クラヴィーア・ソナタ」のジャンルに限っては、クレメンティ作品をモーツァルト作品より高く評価していたとされる。

私も、シェリーのこのシリーズを通して、あらためてこれらの作品の質の高さに感銘した。

中でも第4集〜第6集に収められた中〜後期の作品の充実ぶりは素晴らしい。

このシェリーのシリーズは、作品自体のステイタスを、本来の相応しい地位に向かって引き上げてくれるような、価値の高いものだと思う。

比較的短期間の間に質・量ともに優れた本シリーズを完遂したシェリーと関係者の尽力には、頭が下がる。

それにしても、シェリーのピアノは立派だ。

ピアニスティックなニュアンスが巧みなだけでなく、十分な技巧を背景としたダイナミクスの追及も圧巻で、聴いていて実に自然で耳触りがよく、しかも美しい。

滋味と迫力にことかかない見事な全集の完成を歓迎したい。