WiLL (ウィル) 2014年 01月号 [雑誌] (雑誌)

「昭和天皇『七つの謎』」と題して、今月号から加藤康男の連載が始まる。
「謎解き『張作霖爆殺事件』」を書き、昭和史の書き換えを迫る加藤は、今、最もスリリングなノンフィクション作家である。
その彼が、昭和天皇の隠された真実を明らかにしようというのである。
第1回の今回は開戦直前、昭和16年9月6日の御前会議における昭和天皇の「ある決意」である。
「帝国国策遂行要項」が定められたこの会議で、天皇が異例を承知で直接質問を発し、かつ明治天皇の日露戦争中の御製を引用して統帥部の真意を質した。
「よものうみ みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」。
このエピソードは、日米戦争やむなしと戦争準備を進める軍部に対して、「平和主義者・昭和天皇」の思いを表現し、外交的努力の継続という立憲君主としての平和への強い意志を改めて示したものとされてきた。
しかし、加藤は、近衛と杉山参謀総長が全く別な記録を残していることに注目する。
昭和天皇は明治天皇の御製の一部を明らかに意図的に変えて歌っていた。
杉山メモでは「四方の海皆同胞と思ふ代になどあだ波の立騒ぐらむ」とある。
違いは「波風」と「あだ波」であり、「あだ波」とは、通常、「敵の波」と解釈されるものであろう。
つまり、天皇は、和平への努力にも拘わらず日米間に外交的成果が挙がらず、日米戦争も起こりうる事態に「強い自覚と覚悟」を示しているのではないか。
昭和天皇が平和主義者であったことを疑うものではない。
しかし、大戦を挟んで摂政時代から昭和の御代まで約70年間、日本という国家を支え続けてきた天皇の真実は、「ときに戦いも辞さない覚悟を持った毅然たる立憲君主」と見ることが素直で正しいのではないか。
敗戦という結果があって天皇を擁護する考えは理解できるが、9月のその時点で誰も正確に未来を予期できなかったのである。
今回は、始まったばかりである。
加藤康男が、これからの連載でどのような「昭和天皇像」を描くのか。
20世紀を代表する政治的理性、政治的知性の体現者としての天皇のどのような真実を示してくれるのか、期待したい。
「『十七歳の狂気』韓国」西尾幹二。
韓国の新聞の主なものは、今、インターネットで日本語版が読める。
だから、彼等の「夜郎自大」ぶりは、あまりに滑稽なものとして、「笑韓」と笑い飛ばすこともできる。
しかし、北の核開発が進み、国内に従北勢力が蔓延し、全教祖による北を正統とする教育・教科書が学校教育で進み、昨年12月には、親北・従北派を代表する文在寅候補が当選寸前までいった。
保守層、老年層の巻き返しで朴槿恵の逆転勝利にこぎつけたことは記憶に新しい。
その朴槿恵の「自滅外交」である。
日韓防衛協力協定を締結一時間前にドタキャンした背景には中国の恫喝とともに朴の強い意向があったと言われる。
日本の「集団防衛権」解釈変更を「右傾化」と呼んで騒ぎ立て、立ち寄る国の先々で「慰安婦問題」に火をつけてまわる姿は、北と中国の脅威に囲まれていながら味方にナイフを突きつける狂気の十七歳そのものである。
韓国人に良識がないわけではない。
例えば、朴槿恵政権の立役者、知日派の趙甲斉はさすがに放っておけなくなって、「日本の集団的自衛権の解釈変更」が有事に際して、どれほど韓国の助けになるものか、8月以来諄々と諭している。
ソウルに置かれた国連軍本部は、後方基地である東京横田、沖縄の支援を得ない限り十全に機能することはない。
大陸では中国・ロシアの圧迫を受け、海からは日米経済圏に取り込まれた韓国の地政学的位置付け。
その人口・資源から中級国家としてしか生きようのない韓国の現実。
中国と日本という二つの異なる文明圏の強い影響下に置かれた歴史。
その真実の実態を韓国人自身が認識できるのは、いつの日になるのか。
怒りにあふれているように見える西尾の文章には、悲しみのかげりすらある。
秦郁彦「河野談話を突き崩した産経大スクープ」十月十六日の産経新聞は、二十年にわたり政府が封印してきた韓国の元慰安婦十六人の聞き取り記録を掲載した。
「河野談話」のいい加減さを決定づける証拠である。
1973年、千田夏光が「従軍慰安婦」という言葉を発明したとき、これに関心を抱いた人は少なかった。
秦郁彦は雑誌社のもとめで千田と対談したが、そのとき秦は、「新たな視点からの戦史の掘り起こし」という観点から千田に好意的に接しているように見えた。
秦が、昭和史研究者として「慰安婦問題」で果たした最大の貢献は、1983年発行吉田清治「私の戦争犯罪」に描かれた済州島での「娘狩り」が、根も葉もない捏造であったことを実地調査で証明したことだろう。
吉田清治の証言を頼りに展開された運動は、本来ならここで潰れるはずだった。
しかし、中韓の策動とそれを支援する朝日新聞、研究者吉見義明、高木健一・戸塚悦朗弁護士たちの活動はどこまでも続いている。
秦は、「日本政府が一括して国際社会へ騙した責任(朝日、吉田、吉見、高木、そして河野談話を含む)を謝罪するのも一案かと思う」と述べる。
しかし、これは、また、ややこしく、逆に利用されるだけだと思える。
確信犯的河野洋平が談話を撤回して弁明することはないだろうから、菅官房長官談話として「河野談話は韓国に配慮したものときいている。
それが政治的に悪用されているのは甚だ遺憾である」というコメントをしたり、英文の広報資料などで当時の韓国とのやりとりを明確に世界に訴えることが必要だ。
韓国は逆ギレするだろうが、日本の「嫌韓ランキング」は世界13位でしかない。
ドイツ、フランス、メキシコ、カナダ・・・アメリカだって8位で日本より嫌韓度は高いのだ。
当たり前に説明していけば、韓国の非常識は皆理解するに違いない。
その秦郁彦の関係する「昭和史の謎」に焦点が当てられようとしている。
西尾幹二を主宰者とする「現代史研究会」による「柳条湖事件 日本軍犯行説を疑う」である。
1931年(昭和三年)9月18日、南満州鉄道の奉天(瀋陽)駅の北東7.5キロ地点にある柳条湖で中国軍による鉄道爆破事件が起きた。
この事件から、「満洲事変」へと拡大するのであるが、後に、関東軍の自作自演とされた事件である。
新にこの研究会の一員となった加藤康男は「張作霖爆殺事件と同じく、柳条湖事件も関東軍の謀略によるものだとは思っていません。
あとひとつハード・ファクツ(動かぬ証拠)さえ出れば、一挙にひっくりかえります。
柳条湖事件がひっくりかえれば昭和史は全て書き直しです」と語る。
「東京裁判」は「関東軍の謀略」と断定したが、事件当時の関係者の直接的証言はなかった。
戦後、昭和三十一年、河出書房「知性」12月号に、「花谷正論文」が掲載され「関東軍の謀略」がほぼ間違いない事実と考えられるに至った。
花谷は、当時、関東軍参謀陸軍中佐として奉天に勤務していたから、信頼できる証言と思われたのである。
実は、このとき、花谷にインタビューして文章もまとめたのが当時23歳の秦郁彦である。
つまり、「花谷論文」は相当程度、秦郁彦の手になるものなのである。
秦は、東大に在学中からオーラル・ヒストリーに取り組んでいたが、これはその成果の一つだった。
関東軍が満洲制圧計画を持っていたことは間違いないが、柳条湖事件そのものには謎も多いのである。
詳しくは、本文を読んでいただくしかない。
「WILL」なのか「歴史通」なのかよく分からなくなってきてしまった。
こういうときは、読者はひとまず「蒟蒻問答」でも読むに限る。