巻頭、J.L.ゴダール自身のナレーションが、クレジット・タイトル代わりに今作のスタッフ、キャストを紹介する。
ブリジット・バルドー、ミシェル・ピコリ、ジャック・パランス、ラウル・クタール、ジョルジュ・ドルジュ―、アルベルト・モラヴィア、そしてフリッツ・ラング。
アンドレ・パザンの「映画とは欲望が作る世界の視覚化」との名言が引用され、映画は始まる。
これは、同じくヌーヴェル・バーグの旗手だったフランソワ・トリュフォーの傑作から遡る事10年、ゴダール流「アメリカの夜」である。
と言っても、映画への愛と歓びに横溢している訳ではなく、こちらは、劇中登場する脚本家とその妻の愛の不毛と、プロデューサーとの三角関係を描き、強いては、それを隠喩として、芸術家の映画作りに於ける苦悩と喪失を描いているようにも取れる。
リュミエール兄弟の「劇映画に未来はない」とのテーゼが示され、“映画の革命か、革命の映画か”、とにかく、既存映画の解体、作家主義の否定、マルクス・レーニン主義への急傾へ、その後大きく舵を取ったゴダールを予感している様な作品。
相変わらず小難しいし、理屈っぽいし、観る側の知性と感性が試されているような居心地の悪さを感じるのだが、それでも、節々に疾駆するゾクっとするショットに惑溺してしまうのが、ゴダール映画の魅力だ。
大スターバルドーのお尻剥き出しの全裸シーンが拝めるし、廉価化されたので、ゴダール映画として対峙するなら、それなりに面白い。
ブリジット・バルドー、ミシェル・ピコリ、ジャック・パランス、ラウル・クタール、ジョルジュ・ドルジュ―、アルベルト・モラヴィア、そしてフリッツ・ラング。
アンドレ・パザンの「映画とは欲望が作る世界の視覚化」との名言が引用され、映画は始まる。
これは、同じくヌーヴェル・バーグの旗手だったフランソワ・トリュフォーの傑作から遡る事10年、ゴダール流「アメリカの夜」である。
と言っても、映画への愛と歓びに横溢している訳ではなく、こちらは、劇中登場する脚本家とその妻の愛の不毛と、プロデューサーとの三角関係を描き、強いては、それを隠喩として、芸術家の映画作りに於ける苦悩と喪失を描いているようにも取れる。
リュミエール兄弟の「劇映画に未来はない」とのテーゼが示され、“映画の革命か、革命の映画か”、とにかく、既存映画の解体、作家主義の否定、マルクス・レーニン主義への急傾へ、その後大きく舵を取ったゴダールを予感している様な作品。
相変わらず小難しいし、理屈っぽいし、観る側の知性と感性が試されているような居心地の悪さを感じるのだが、それでも、節々に疾駆するゾクっとするショットに惑溺してしまうのが、ゴダール映画の魅力だ。
大スターバルドーのお尻剥き出しの全裸シーンが拝めるし、廉価化されたので、ゴダール映画として対峙するなら、それなりに面白い。